
またまた言語優位者の憂鬱シリーズということで、世の中にはびこる、いや、普及している言葉の用法について、私の個人的な見解を交えてお話します。
今回は「的を射る(まとをいる)」と「的を得る(まとをえる)」の使い方の話ですね。
個人的に、語源とか、もともとの正しい用法を気にしてしまう所謂「言語優位者」という自覚があるので、こういう話は大好物です。
「射る」と「得る」の違い
的を射る(まとをいる)

まずは語源の方から。
これは、弓道における「的(まと)」を「射る(いる)」、つまり矢で的を狙って当てるという意味から来ています。
- 「正確である」「的確に要点を捉えている」ことの表現
- 物事や表現が、まさに対象をぴったり言い当てているという形容詞的な使い方で使います
- 例:「的を射た発言」など
ともかく、正確に捉えているっていう感覚が「的を射る」にはあるんです。
的を得る(まとをえる)

こちら、言葉の意味は「的を射る」と同じですが、元々は誤用でした。現在では使われるようになったみたいですね。
発声する時に「いる」よりも「える」の方が一寸言いやすい、というのも変化した理由かもしれません。
用法としてはどちらもOKだと認識しつつ、私の中に「的を得る」に対して持っている、ちょっと違う使い方、それをお話しします。
ぐつぃ流「的を得る」の使い方

私の中での「的を得る」の見方…それは正確さではなく…目的の獲得と捉えます。
「目的を得る」という視点
「的」という言葉は、「弓道等でいう物理的な的」であると同時に、「目的のように概念的な的」でもありますよね。
だからこそ、私の中での「的を得る」は、「目的を得る」感覚で認識します。
例えば、こんな状況↓
- 手段だけを盲目的にやっていた
- あるルールをずっと一生懸命守ってきた
- 目的がわからなかった
- 「一体このルールは何のためにやっていたのか?」
- 目的を理解し、得た
- 「そうか!このルールって、このためにやってたんだ!」と、後から理解する
この「目的を得た」という時に「的を得た」という表現を使うのなら、ありかな、と。むしろ、私個人としては、こっちの方がしっくりくるし、読んで字のごとしで好ましいですね。
手段と目的を混同しないために
ちょっと余談になりますが、これは手段と目的の話につながります。
よく、お金を稼ぐことが目的だと思ってる人も多いと思うんですが、お金はあくまで「手段」ですよね。何かを達成するための道具なんです。
もし「お金を得ること」自体が目的になってしまったら、自分の幸せや価値観を無視して、ただお金に操られてしまう。物質的な豊かさ、お金さえあればそれが最高だ、みたいな話になってしまいます。
多分、この執着は不幸への片道切符です^^;
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結論

「的を射る」と「的を得る」をまとめてしまいましょう。
言葉 | 意味 | 用例 |
---|---|---|
的を射る | 正確に捉えている | ・彼の指摘は的を射ている ・的を射た発言だ |
的を得る(一般的、元は誤用) | 同上 | ・彼の指摘は的を得ている ・的を得た発言だ |
的を得る(ぐつぃ的) | 目的を得る、狙いがわかる (未だ的には当たっていない) | ・的を得るのに3年かかった ・的を得たに過ぎない |
もちろん、どちらの用法も「的確である」という意味で普及しているのは理解しています。
でも、言語優位者としては、この微妙なニュアンスの違いを使い分けたい。だって、その方が言葉の表現が豊かになる✧
最後まで読んでくださってありがとうございます。あなたも是非、的を射た言葉遣いで、心豊かに気持ちを表わしていきましょう♪
参考
「的」は「射る」?「得る」? | ことば(放送用語) – 放送現場の疑問・視聴者の疑問 | NHK放送文化研究所