今日は、私の今年のテーマである「惨めさを受け入れる」とは一体何なのか、最近の気づきを交えてお話ししたいと思います。
朝、妻との会話の中で深く考えさせられたことがありました。そこで浮かんだ一つの結論。「惨めさを受け入れる」とは、自分の一次感情としっかり向き合い、それを抱きしめるように受け止めることなのかもしれない。今日はそんな気づきについてシェアします。
コンテンツ
「一次感情」という心の源流を知る

アドラー心理学では、怒りは「二次感情」だと言われています。怒りという感情は確かに喜怒哀楽の一つですが、実はその奥には別の感情が潜んでいるのです。怒りの前に、何か別の感情があって、それが変化して怒りになっている——それが二次感情としての怒りの正体です。
例えば:
- 妬ましさから怒りに変わることがある
- 悲しさから怒りに発展することもある
- 落胆から怒りが生まれることもある
こうした「一次感情」こそが、私たちの感情の根源なのです。
参考
マンガあり解説文ありの、とてもわかりやすい本です。ぐつぃ にとってのアドラー心理学の教科書ですね。ケーキ屋さん(会社)のエピソードなので、具体例があって、話だけでも充分楽しめます♪
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なぜ一次感情に気づくことが難しいのか
多くの場合、私たちは自分の一次感情を認めることを避けようとします。その理由はシンプルです:
- 「こんなことを考えちゃいけない」と思ってしまう
- 「こんな感情を持つ自分はかっこ悪い」と感じる
- 「恥ずかしい」という自己評価が働く
しかし、こうして感情を無視しようとすればするほど、その感情はふつふつと湧き上がってきて、気づけば頭の中はそのことでいっぱいになってしまいます。特に他人に関することだと、「ああでもない、こうでもない」と延々と考え続けてしまうのです。
惨めさに気づいた朝の体験談

今朝、私は早朝に目が覚めてしまい、ある出来事について考え始めました。結果的に2時間以上も、同じことをぐるぐると考え続けていました。これは「惨めさを受け入れていない状態」の典型例です。
寝直すこともできず、ただ思考がループする中で気づいたのは、最初に自分の心にマイナスの感情として響いた出来事に戻ってみること。そして、その時の自分は一体どうだったのかを素直に見つめることの大切さでした。
具体的な内容は言えませんが、私の場合はこんな感情がありました:
- 悲しかった
- 自分が受け入れられていない気がした
- 認められていないような感覚があった
- もしかしたら馬鹿にされたのかな、という不安
惨めさを避けることで生まれる悪循環

こうした感情を認めたくないとき、私たちは感情を放置します。すると次のような悪循環が生じます:
- 思い出すたびに延々と考え続ける
- 「ああいうことが起こるんじゃないか」と未来を想像する
- 自分でコントロールできない状況を勝手に作り上げる
- 過去の出来事を延長して考え、未来を決めつける
この負のループから抜け出すための鍵が「惨めさを受け入れる」ことなのです。
一次感情との向き合い方

惨めさを受け入れるためには、まず一次感情をしっかり自分で明らかにすることから始まります。具体例として:
- 「自分は悲しかったんだな」と認める
- 「妬ましかったんだな」と素直に受け止める
- その感情を胸に染み入らせる時間を持つ
意外かもしれませんが、こうして感情と向き合うことで、次にどうすればいいのかという答えが見えてくることがあります。
論理だけでは解決できない理由
感情の問題を論理的に解決しようとしても、根本的な部分が残っていれば、同じことをまた考えてしまうでしょう。それは感情面でのケアがないからです。
自分の感情をしっかり受け止めてあげることで、はじめて負のループから抜け出すことができるのです。それが「惨めさを受け入れる」の本質なのかもしれません。
自分の心と仲良くなるために

惨めさを感じることは決して悪いことではありません。むしろ、それは自分の心に正直になるきっかけとなります。心の奥底にある感情を無視せず、優しく受け止めることで、私たちは自分自身とより良い関係を築くことができるのです。
ネガティブな感情を持つことは人間として自然なこと。大切なのは、その感情に気づき、受け入れ、そして必要に応じて手放す術を身につけることです。
今日もあなたの心に寄り添う時間を持ってみませんか?惨めさを恐れず、むしろそれを通して自分を知る旅に出かけましょう。その先には、もっと自由で穏やかな心が待っているかもしれません。
あなたの一次感情は、あなたという人間の大切な一部分。それを抱きしめるように受け止めることから、真の自己理解と癒しが始まるのだと思います。
今日も、一歩ずつ、自分の心と向き合っていきましょう。
