嬉しかったこと、楽しかったこと、ワクワクしたこと。そんなポジティブな感情も、しっかり受け止めていきましょう、というお話です。
受け止めないことを続けると、どうなってしまうのか、も解説していきます。
まずは二次感情の説明から。
おさらい:怒りは 「二次感情」
二次感情の話は、これまで主に「怒り」で取り上げてきました。
怒りの下には、悲しい、不安、悔しい、妬ましい、心配といった「一次感情」が隠れています。
本当に感じた気持ちが先にあって、その結果として怒りが ”二次的に表に出ている” という構造です。
怒りのまま行動すれば当然よくないことになります。かといって怒りを無視したり、ごまかしたりし続けると、気持ちが積もり積もって、いつかドカンと爆発します。
大事にされなかった心が膨らむからです。だから私は「惨めさを受け入れよう」と言っています。
自分を責めるのではなく、「悲しかったんだな」「怖かったんだな」と心をヨシヨシするのです。
それだけで視野がぱっと開けます。
ポジティブな二次感情はあるのか?
ここで疑問が浮かびました。ネガティブばかりでなく、ポジティブな側にも同じことが起きているのではないか、ということです。
こんな経験、ありませんか?
- 舞い上がるほど嬉しいのに、「こんなことが好きな自分は恥ずかしい」と思ってしまう
- 「そんなことで喜んでいてはダメだ」という価値観を、誰かから植え付けられている
- 褒められても素直に受け取れない
これも自分の本音を大切にできていない状態だと思います。
嬉しいのに「嬉しかったんだね」と受け止めてもらえなかった心が、やはりどこかで爆発したり、取り返しに来たりするのです。
仏教でいう”我”。つまり「私こそが一番大事にされなければならない」というエゴが働くわけですね。
プルチックの「感情の輪」
調べてみると、ぴったりの答えはありませんでしたが、心理学者プルチックの「感情の輪」が近いものでした。
感情は複数の基本感情の組み合わせでできているという考え方で、たとえば「喜び」と「信頼」が合わさると「愛」になる、といった具合です(※AI回答を参考に話していた為、正確な理論と異なっています)。
ポジティブな感情に特化してAIに訊くと、どれも”喜び”が含まれていました。そこで私は、ポジティブな二次感情として ”喜び ” があると定義してみました。
参考
下記リンク先の説明と、今回の私の説明は、かなり違っていますね。あくまで参考としてご覧ください。
やはり、AI回答は私の訊き方に寄せて、”何とか似たような理論を持ってきた”感じです^^;
(ちょっと面白いのは、日本語訳と原語版とで、”感情の輪”の図に ちがいがあることですね)
感情について知る
https://www.rehabilisquare.com/post/kanjounowa
ロバート・プルチック – Wikipedia
Robert Plutchik – Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Plutchik
喜びを「噛みしめる」ということ
やり方はシンプルです。
- 例えば「信じてくれて嬉しかったんだな」と、自分の気持ちに名前をつける
- 「信頼されて舞い上がっちゃったんだな」と、自分の心をヨシヨシとする(イメージでOK)
- 人に伝えなくてもいいので、心の中でしっかり受け止める
「何が嬉しかったのか」喜びの一次感情を受け止めておけば、”喜びで変に舞い上がって失敗する” ということも減るのではないかと思っています。
喜びを禁止するのではなく、その元(一次感情)をちゃんと味わうほうが、結果的に落ち着いていられるのです。
嬉し涙も同じです。恥ずかしがらず、ごまかさず、一人の場所でもいいので、噛みしめながら流せるといいですね。
感情が動いたのに、涙を流せない状態が続くと、いつかどこかで、エゴが逆襲に来る(大事にされなかった私を取り返しにくる)と私は感じています。
まとめ:ネガティブでもポジティブでも、本音と向き合おう
私は「惨めさを受け入れる」とよく言いますが、本当に伝えたいのは、受け入れたあとに楽しく生きる方法(方向)を考えよう、ということです。
まずは、悲しい時も悔しい時も、嬉しい時も楽しい時も、動いた感情を「そっか、こうだったんだな」と受け止める。それは共通して言えることだと思います。
誰かを好きになったことも、何かが嬉しかったことも、言葉にするのは照れくさいかもしれません。
それでも自分の心で受け止めれば、視界が開けて、幸せに気づきやすくなるはずです。
今日から、あなたの心のヨシヨシを始めてみませんか?生きづらさが少しでも軽くなりますように✧
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